「松江城って結局、何がすごいの?」
島根旅行を計画していると、そんな疑問を抱く方も多いのではないでしょうか。
結論から言うと、松江城がすごい理由は
・現存12天守
・国宝5城の一つ
・山陰地方で唯一の現存天守
という、全国でも希少な価値を併せ持っていることです。さらに、明治の廃城令を乗り越えて残った歴史や、当時のままの木造天守ならではの迫力も、松江城の大きな魅力になっています。
この記事では、出雲在住の筆者が、松江城の見どころ・国宝になった理由・城主の移り変わりをわかりやすく整理したうえで、ハートの石垣やギリギリ井戸、人柱伝説といった現地で話したくなる雑学、そしてNHK連続テレビ小説「ばけばけ」との関わりまで、まとめてご紹介します。
松江城はどんな城?

まずは松江城の基本データを整理しておきましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 築城者 | 堀尾吉晴 |
| 築城年 | 1607年(慶長12年)着工、1611年(慶長16年)完成 |
| 城の形式 | 平山城 |
| 天守の構造 | 現存天守(望楼型5重6階) |
| 指定 | 国宝(天守)/国の史跡(城跡) |
| 別名 | 千鳥城 |
| 天守の高さ | 本丸地上から約30m(天守台上からは約22.4m) |
| 所在地 | 島根県松江市殿町1-5 |
「現存天守」とは、江戸時代以前に建てられたものが今も残っている天守のことで、全国に12しかありません。松江城はそのうちの1つであり、さらに国宝に指定された5つの天守(後述)にも数えられています。
登閣料金や開館時間、共通券については、松江城の料金・チケット完全ガイドで詳しく紹介しています。
松江城がすごい5つの理由

現存12天守の一つ
江戸時代以前に建てられた天守が現存しているのは、全国でわずか12城のみです。松江城はそのうちの1つで、山陰地方では唯一の現存天守でもあります。
国宝5城の一つ
現存12天守の中でも、特に歴史的価値が高いとされ国宝に指定されているのは、姫路城・犬山城・彦根城・松本城・松江城の5城だけです。松江城は2015年に国宝へ再指定されており、その経緯は記事後半の「松江城の歴史」で詳しく紹介します。
| 城名 | 所在地 | 別名 |
|---|---|---|
| 姫路城 | 兵庫県姫路市 | 白鷺城 |
| 犬山城 | 愛知県犬山市 | 白帝城 |
| 彦根城 | 滋賀県彦根市 | 金亀城 |
| 松本城 | 長野県松本市 | 烏城 |
| 松江城 | 島根県松江市 | 千鳥城 |
松本城も松江城と同じく黒を基調にした天守で、「白の姫路城、黒の松本城・松江城」と対比されることもあります。
全国でも珍しい黒い天守
松江城天守は、姫路城のような白漆喰の総塗籠ではなく、壁の大部分を黒い板で覆う「下見板張り」という工法で造られています。この黒い板には、柿渋やすす、漆などを混ぜた塗料が使われており、雨水が壁に直接当たるのを防ぐ役割があるといわれています。
見た目の重厚感だけでなく、実用性を重視した結果、この黒い外観になったと考えられています。
別名「千鳥城」の由来
松江城には「千鳥城」という別名があります。千鳥破風は屋根に載せるように付けた三角形の飾りで、羽を広げたチドリのように見えるという。かつて松江城天守にもこの千鳥破風が四方に付いていたことが、別名の由来といわれています。
ただし、現在の天守にこの千鳥破風は見られません。松江市の調査によると、1738年(元文3年)から1743年(寛保3年)にかけての大改修で天守の意匠が変わり、現在のような屋根と一体になった「入母屋破風」になったと推測されています。
つまり「千鳥城」という別名は残っていますが、名前の由来となった千鳥破風そのものは、今の天守には付いていないということになります。
木造の迫力がそのまま残る
現存天守は、コンクリート製の復興天守とは違い、当時の木材や工法がそのまま使われています。松江城の天守内部に入ると、太い柱や急な階段など、江戸時代の技術と木の質感を間近で感じられるのも大きな魅力です。
天守内部の見どころ

松江城は外観だけでなく、天守内部の構造そのものが大きな見どころになっています。地上5階・地下1階の造りで、階を上がるごとに窓からの眺めも変わっていきます。
通し柱/木材不足が生んだ独創的な構造
通常、天守の中心には1階から最上階まで貫く「心柱」が使われることが多いのですが、松江城は築城当時に良質な木材が不足していたため、心柱を使わない構造が採用されました。代わりに、2階分をつなぐ「通し柱」を各所に配置することで、天守全体を支えています。天守全体308本の柱のうち、96本がこの通し柱にあたるといわれています。
割れを隠す「包板」
木材不足の影響は、柱の造りにも表れています。ひび割れなどのある柱を、板で一面から四面まで巻いて鎹(かすがい)や鉄輪で留める「包板」という手法が使われており、308本中130本の柱にこの補強が施されています。限られた資材をやりくりしながら天守を完成させた、当時の工夫の跡といえます。
地階に残る古い鯱
天守の地階には、昭和の修理の際に取り外された古い鯱(しゃちほこ)が展示されています。現在天守の屋根にのっている鯱とは別のもので、修理の歴史を伝える資料のひとつになっています。
現地で探したい見どころ・雑学

ここからは、松江城に行ったら誰かに話したくなる、ちょっとした雑学や伝説を紹介します。
ハートの石垣
大手木戸門跡から本丸へ向かう石段には、ハート型に見える石が隠れています。段を上がって13段目あたり、目線の高さくらいの位置にあるといわれているので、天守に向かう道すがら探してみてください。天守見学の記念に、ハート石垣の前で写真を撮っていく人も多い、ちょっとした撮影スポットです。
ギリギリ井戸
築城の際、何度積み直しても崩れてしまう石垣があったといわれています。その根本を掘り起こしたところ、清らかな水が湧き出したことから「ギリギリ井戸」と呼ばれるようになったと伝えられています。「ギリギリ」は方言で「つむじ」を意味し、井戸の形や城の中心に近い位置にあることが名前の由来という説もあります。
人柱伝説
ギリギリ井戸のエピソードには、もう一つの言い伝えがあります。石垣の一部がどうしても積み上がらなかったため人柱を立てることになり、盆踊りの最中にさらわれた、美しく踊りの上手な娘が人柱にされたというものです。娘の名前は伝わっていません。
この話が史実として確認されているわけではありませんが、松江城の周辺では今でも盆踊りが行われない風習が残っているといわれ、地元では語り継がれている伝説のひとつです。
祈祷札が見つかって国宝に
記事後半で詳しく紹介しますが、松江城が2015年に国宝へ再指定される決め手となったのが、天守の中から見つかった2枚の祈祷札です。これによって天守の完成年(1611年)が裏付けられ、史料的価値が改めて評価されました。何気なく見過ごしてしまいそうな展示ですが、国宝指定の裏側を知っていると、見え方が変わってくるかもしれません。
天守最上階から見える宍道湖
天守の最上階からは、松江市街や宍道湖を一望できます。天候がよい日には、夕方の宍道湖の眺めも楽しめるので、時間に余裕があれば夕方近くの登閣もおすすめです。
天守見学のあとのランチは、松江グルメ完全ガイドで紹介しています。
朝ドラ「ばけばけ」の舞台としても注目
NHK連続テレビ小説「ばけばけ」は、後述する小泉八雲と、その妻・セツをモデルにした物語です。
物語の多くの場面で松江が舞台となっており、松江城の堀にかかる宇賀橋周辺は撮影ポイントの一つとして紹介されています。ドラマをきっかけに松江を訪れる方は、小泉八雲記念館とあわせて松江城を巡るのがおすすめです。
小泉八雲と松江城
小泉八雲が愛した松江
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、明治時代に松江で英語教師として過ごした文学者で、松江城のすぐ北側には小泉八雲記念館があります。八雲は松江の風景や人情をたいへん気に入っており、当時の面影が残る松江の街を「神々の国」として紹介しました。
『怪談』とのつながり
八雲の代表作である『怪談』には、日本各地の伝承や民話が収録されています。人柱伝説やギリギリ井戸のような、松江城に伝わる怪異譚も、八雲が滞在した時代の松江の空気を色濃く反映したものといえるかもしれません。
松江城の歴史を3分でわかりやすく
誰が建てた?城主の移り変わり
松江城は、関ヶ原の戦いで戦功をあげた堀尾吉晴が、1607年(慶長12年)から4年かけて築いた城です。堀尾家は3代で世継ぎがなく途絶え、次いで京極忠高が城主となりますが、京極家も一代で世継ぎがないまま終わりました。その後1638年(寛永15年)、徳川家康の孫にあたる松平直政が入城し、以降は松平家が10代・約230年にわたって藩主を務め、明治維新(1868年)まで松江を治めています。
廃城令を乗り越えた奇跡
明治時代に入ると、政府は1873年(明治6年)に廃城令を出し、全国の城の多くが解体されることになりました。松江城も例外ではなく、天守は180円で払い下げられ、解体される予定だったといわれています。
ここで動いたのが、出雲郡の豪農・勝部本右衛門栄忠と、旧松江藩士の高城権八です。天守が取り壊されることを惜しんだ2人は、落札額と同じ180円を工面して国に納め、天守を買い戻したと伝えられています。この行動がなければ、今の松江城天守は残っていなかったかもしれません。
なぜ国宝になった?
松江城が国宝に指定されるまでの道のりも、一直線ではありませんでした。1935年(昭和10年)にいったん国宝に指定されたものの、1950年(昭和25年)に文化財保護法の制定にともなって指定基準が見直され、重要文化財に変更されてしまいます。その後、天守の完成年を裏付ける祈祷札2枚が発見されたことで史料的な価値が改めて評価され、2015年(平成27年)、実に65年ぶりに国宝へ再指定されています。
ブラタモリでも紹介された松江城
2015年8月放送のNHK「ブラタモリ」でも、国宝指定直後の松江城と城下町が取り上げられました。
番組では、もともと湿地帯だった松江の土地が、水と共存しながらどのように城下町として発展していったかがテーマになっています。松江城の堀や城下町を歩きながら地形の成り立ちを読み解く内容で、松江・出雲を訪れた回は書籍化もされています。
松江城をもっと楽しむコツ
最後に、松江城観光をより楽しむためのポイントをまとめます。
登閣は朝の時間帯が比較的空いていて、天守内をゆっくり見学しやすいのでおすすめです。天守最上階からの眺めを楽しんだあとは、城山公園を散策したり、明治時代の洋館建築である興雲閣を見学したりするのもよいでしょう。堀を舟でめぐる堀川遊覧船に乗れば、天守を陸上とは違う角度から眺めることもできます。
アクセスや持ち物の準備については、以下の記事もあわせてチェックしてみてください。




よくある質問
- 松江城は何年に建てられた?
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1607年(慶長12年)に築城が始まり、1611年(慶長16年)に完成しました。築いたのは堀尾吉晴です。
- 松江城の城主は?
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堀尾家、京極家を経て、1638年からは松平家が10代・約230年にわたって城主(藩主)を務めました。
- 松江城はなぜ国宝?
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1935年に一度国宝指定を受けたのち、1950年に重要文化財となりましたが、天守内部で祈祷札2枚が見つかったことで史料的価値が見直され、2015年に国宝へ再指定されました。
- ハートの石垣はどこ?
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大手木戸門跡から本丸へ向かう石段の13段目あたり、目線の高さくらいの位置にあるといわれています。
- 人柱は本当にいた?
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史実として確認されているわけではありませんが、盆踊りの最中にさらわれた娘が人柱にされたという伝説が今も語り継がれており、周辺では盆踊りが行われない風習が残っています。
- 松江城は何時間で回れる?
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天守のみなら20〜30分程度が目安です。本丸から城山公園まで含めてゆっくり散策する場合は、1時間程度を見ておくと安心です。
- 松江城の駐車場は?
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大手前駐車場(60台以上)や城山西駐車場(150台以上)など、周辺に複数の有料駐車場があります。土日祝や観光シーズンは混雑しやすいため、時間に余裕を持って向かうのがおすすめです。
- 松江城は犬連れOK?
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本丸周辺の散策は犬連れでも楽しめます。ただし天守内部は、ガイド犬以外のペットはキャリーバッグに入れる必要があります。
- 松江城は階段きつい?
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天守内部の階段は築城当時のままの造りで、現代の建物に比べると勾配が急な箇所があります。歩きやすい靴で見学することをおすすめします。
- 松江城は雨でも楽しめる?
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天守内部の見学は雨天でも問題なく楽しめます。石垣やお堀まわりの散策は足元が滑りやすくなるため、雨具と歩きやすい靴を用意しておくと安心です。
まとめ
松江城は、現存12天守・国宝5城の一つという希少な価値を持ちながら、廃城令からの復活、65年越しの国宝再指定という、決して平坦ではない歴史をたどってきた城です。
現地では、ハートの石垣やギリギリ井戸、人柱伝説といった雑学を知っておくと、天守を眺めるだけの観光がぐっと面白くなります。小泉八雲や朝ドラ「ばけばけ」、ブラタモリとのつながりも意識しながら、松江城を歩いてみてください。
